公募展

表彰式

第35回 全国公募千字文大会 表彰式

今年度で33回を迎えた全国公募千字文大会には、全国より1万点を越える作品が寄せられました。
このうち特選以上に入選した作品1,600点あまり(うち特別賞70点)が、9月17日(土)〜19日(月)に本校と東洋文化不二研修所で展示されました。
会期2日目の18日(日)には受賞者表彰式が本校講堂において行われました。そのときの様子をお伝えします。

第33回 全国公募千字文大会 表彰式

ご挨拶の言葉を述べられた石橋鯉城理事長

ご挨拶の言葉を述べられた石橋鯉城理事長

 当日、日本書道藝術専門学校大講堂において行われた表彰式には、全国各地から受賞者と参観者二百名余りが集いました。

 石橋剛事務局長の開会の言葉に続き、本会を代表して石橋鯉城理事長がご挨拶されました。

「千字文大会は、この学校が伊東市に生まれたのと同時に始まったのです。
 今、伊東市は書道教育特区として小学校では書道科書道が、つまり本物の書道が始まっております。書道教育復活に向けて、申請したわれわれの背中を強く押してくださったのが、本日ご参列いただきました佃伊東市長でした。今回、全国公募千字文大会展に集まった作品はすべて、まさに『書道』の本道を行くものでした。これぞ日本の伝統文化であり、来年、再来年と一人ひとりが連綿と受け継いでいくことが肝要です。それこそがこの日本を立ち直させる礎を創り上げるでしょう」

 続いて来賓の皆様から以下の祝辞をいただきました。

静岡県伊東市市長 佃弘巳先生

 昔から「道」という字がわたしは好きです。道をしっかり踏みしめ、真心をもって歩むこと。「書道」とは、まさにそうした道のことではないかと思うのです。

 わたしが市長になってからのことですが、六年前に書道教育特区の認定を受けました。それは真心をもって申請された石橋鯉城理事長、石橋智子校長、石橋剛事務局長はじめ日本書道教育学会の皆様のご尽力と犀水先生の書道教育復興の夢が稔ったものだと思っております。「なぜ書道を小学校一年生から教えることができないのか」という書道教育への熱い思いがそこにありました。

 結果的には申請からわずか三ヶ月でのスピード認可でした。当時の小泉純一郎総理大臣とこの七月にお話ししたのですが、伊東市は書道にかける情熱が違う、と受け取っていただいて、みずから異例の認可をしたのだと述懐されていました。先進的な試みの起源の地が伊東市であるとすれば、その原点こそが、この日本書道教育学会なのです。文部科学省も早期からの書道の学習には積極的で、大勢の方々に早い時期に書道を学んでもらいたいと熱を込めています。これぞ日本の原点という思いなのでしょう。

ご祝辞の言葉を述べられた藤井秀夫先生

ご祝辞の言葉を述べられた藤井秀夫先生

本校理事 国士舘大学名誉教授 藤井秀夫先生

 「千字文」とは元々中国の文字で、三世紀後半に朝鮮の百済から「論語」十巻と「千字文」一巻が伝わったのが日本での始まりです。これが実用化されたのはさらに三百年後、七世紀初めに聖徳太子が仏教を広める際に漢字文化を使用してからで、世界史の中では比較的新しいものです。

 現在、中国では簡体字になり、朝鮮ではハングル文字を使用しているので、古来の漢字文化を継承しているのは日本だけになりました。それがこの「千字文」であり、「論語」です。皆さんが勉強されている教科書やご両親が書かれる手紙も、漢字からかな文字が生まれたという点も含めてここに起源があります。皆さんもぜひこの「千字文」を大事にして下さい。

 展示を拝見し、雄渾な文字、勇ましい文字、しかし愛情がこもった文字が揃ったことを、とても嬉しく思っております。学校の先生や日本書道藝術専門学校の先生方の指導を受けながら、これからも漢字や漢文学の勉強をなさって下さい。「千字文」は、私たちの心の故郷を表現する文字様式と覚えて下さい。

 西洋の人たちがローマ字を愛好するように、私たち東洋人はご先祖の発明した文化と精神を守っていきたいと願います。

 続いて日本書道藝術専門学校の石橋智子校長から受賞者一人ひとりに賞状・副賞の授与が行われた後、受賞者代表として高校の部で文部科学大臣賞を受賞された手島遼さんが感謝と喜びの言葉を述べられ、表彰式は盛会のうちに終了しました。

文部科学大臣賞受賞者の皆さん。左から竹内大貴さん、木村佳鈴さん(手前)、篠永洋子さん、手島遼さん

文部科学大臣賞受賞者の皆さん
左から竹内大貴さん、木村佳鈴さん(手前)、
篠永洋子さん、手島遼さん

一字書を揮毫する石橋鯉城理事長

一字書を揮毫する石橋鯉城理事長

 表彰式後には席上揮毫会が行われ、小学生から大人までの各受賞者が、受賞者にふさわしい腕前を披露されました。最後に石橋鯉城理事長が一字書を揮毫され、見学者一同は固唾を飲んでその筆さばきに見入っていました。